新潟教区の皆様、新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。今年が神の目に良い年となりますように、お祈りいたします。新潟教会では11時から神の母聖マリアのミサが田中神父、町田神父、私の3人の共同司式で行われました。ご実家に帰省してこられた方も多く、懐かしい皆さんでともに今年最初のミサをささげました。ミサの後は信徒会館で昼食会。おいしいお汁粉や正月らしい料理がふるまわれ、のんびりと楽しい時間を過ごしました。準備してくださった皆さん、ありがとうございました。以下、説教です。
成井大介司教












聖書と典礼には、「神の母聖マリア」(降誕の八日目)と書かれています。お正月、年の初めに神の母聖マリアを祝うというより、主の降誕から8日目に神の母聖マリアを祝うんですね。カトリック教会には大切な祝日、例えばご復活や主の降誕を8日間かけて盛大にお祝いするという習慣がありますが、この八日間の盛大なお祝いの最終日を、神の母聖マリアを祝って締めくくるということなのです。
今日の福音では、家畜小屋で、飼い葉おけに眠るイエスを羊飼いたちが探し当て、訪れる場面が読まれます。マリアは、羊飼いに天使が現れ、話した内容を聞き、「心に納めて、思いめぐらしていた」とあります。
- 神が人として自分から生まれたということ。
- ところが、普通の赤ん坊とまったく同じで、小さく、弱いこのイエスを、守り、養い、育て、教えなければならないということ。
- しかしここは旅先で、宿すらなく、家畜のえさ箱という不衛生なところに寝かせるしかないということ。
- そもそも、神を身ごもって、神を生んで、神を育てるなんて、そんな責任を人間が果たせるわけないということ。
思いめぐらすことは、次から次に出てきたでしょう。不安で仕方なかったでしょう。ただ、マリアはこうしたことを、自分の責任とか、自分の能力とか、自分がどう決断するかというような視点ではみませんでした。マリアはこうしたことを、「神が望まれること」と受け止めたのです。「お言葉通り、この身になりますように」という、天使ガブリエルに対してのこたえは、神の望み通りになりますように、ということですね。どんなに不衛生な環境しかなくても、幼子虐殺から逃げるために難民として外国に行かなければならなくても、迷子になったかと思いきや、神殿で悪びれることもなく議論するイエスを前にしても、十字架上ではずかしめを受けながら殺されていくイエスを前にしても、「神のお望みの通りになりますように」という思いで、「心に納めて、思いめぐらしていた」のです。
わたしたちは、人生の中で、「どうしたらいいかわからない」という瞬間に何度も出あいます。「自分には無理」という、とてつもない重責が降りかかることもあるでしょう。聖母マリアは、「神のお望みの通りになりますように」と、「心に納めて、思いめぐらす」模範です。マリアは、ただ神だけに信頼して、日常の様々な課題をそのままに放っておいたのではありません。カナの婚礼の時、マリアは周りの状況を注意深く見たうえで、イエスに相談ました。私たちも、マリアの模範に倣い、日常の様々なことをしっかりと把握し、思いめぐらし、神に祈って、イエスがお望みになるような生き方ができるようにしていきたいと思います。
教皇レオ14世は、教皇選挙で選ばれ、最初に発した言葉が「平和が皆さんとともに」でした。今の、この世界の中で、キリストの平和を心から求めておられるのだと思います。今日の、世界平和の日のメッセージに、レオ14世は次のアウグスチヌスの言葉を引用しました。
聖アウグスティヌスは自分の共同体にあててこう書き送りました。「他の人々を平和に向けて引き寄せたいなら、まずあなたがたが平和をもちなさい。何よりもまず、堅固に平和を保ちなさい。他の人々を燃え立たせるためには、あなたがたが自分のうちに平和の火をもたなければならない」。
皆さん、わたしたちは、年の初めにあたり、自分自身が平和を生きる決意を新たにしたいと思います。誰か、権力のある人が平和を乱しているのだからどうしようもない、とあきらめるのではなく、自分が、私が、キリストの平和を生きましょう。神と、人々と、自然との関係を良いものにしていきましょう。
今年、この新潟で明治時代に再宣教が始まって最初の洗礼が行われてから、150年になります。鎖国が終わったばかりのころ、外国人というだけで白い目で見られ、まして洗礼を受けたということが知られると村八分にされるような状況から始まって、戦争や、社会の変化の中、私たちの先輩たちは信仰を伝えられ、信仰を伝え、キリストの平和を生きてきたのです。
今、戦争、紛争が世界の様々な地域で起きているだけでなく、様々な国が互いの関係を悪くするための努力を続ける状況にあって、私たちはキリストの平和を生きましょう。自分には荷が重い、と考えるのではなく、「神のお望みの通りになりますように」と、今の社会を「心に納めて、思いめぐらし」、キリストの平和を生きることが自分に与えられた神の望みであると受け止めましょう。