新潟教区においてシノドスの歩みを始めるミサ

10月17日、全世界の教区でシノドスの旅がはじめられました。新潟教区では、新潟教会の9:30のミサを司教が司式し、シノドスの歩みをはじめることを宣言いたしました。

説教でもお伝えしましたが、新潟教区ではシノドスに関する質問に併せて、教区の優先課題のふり返りも行います。そのための資料を来週教会と修道院にお送りしますので、今しばらくお待ちください。シノドスという恵みの時をともに歩んで参りましょう。

以下は9:30のミサでの挨拶と説教です。

挨拶:

教皇フランシスコは、先週の日曜日、10月10日に、世界代表司教会議、シノドス第16回通常総会の開会ミサを行いました。2023年にバチカンで行われる会議へと向かう、シノドスの歩みがこれによって始まりました。

そして今日、全世界で、各教区におけるシノドスの歩みが始められ、来年の4月まで、全世界のカトリック教会の信徒が、「ともに歩む教会のため——交わり、参加、そして宣教」というテーマに基づいて、自分たちの共同体のあり方や活動について振り返ります。私は、この御ミサを始めるにあたり、新潟教区においてシノドスの歩みをはじめることを宣言いたします。

この御ミサで用いられる十字架は、2012年、新潟教区が100周年を祝った時に、教区のすべての教会、修道院をまわった十字架リレーの十字架です。新潟教区共同体が、イエスとともに信仰の旅を歩んでいくシンボルです。神が新潟教区と世界の教会の歩みを見守り、導いてくださいますようにこの御ミサの中でお祈りいたしましょう。

 

説教:

「シノドス」とは、世界代表司教会議の事です。これまで3年に一度ほど、シノドス通常総会がバチカンで開かれてきました。シノドスという言葉は、「神の民がともに歩む」道を意味しています。ヨハネの福音14章でイエスは弟子たちに「私がどこへ行くのか、その道をあなた方は知っている」と言うのですが、トマスは「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道を知ることができるでしょうか」と答えます。これに対してイエスは、「私は道であり、真理であり、いのちである。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない。」と言われます。イエスご自身である道、イエスが示された救いの道、父へと続く道を、わたしたちキリスト者がイエスとともに歩んでいく。シノドスとはそういう営みです。

バチカンのシノドス事務局が出したシノドス解説文書に、次のように書かれています。少し長いですが、聞いてください。

シノドス的教会という状態は、公会議、世界代表司教会議、教区シノドス、教区や小教区の評議会の中で表現されます。すでに教会中で、「シノダリティ」の形態を経験する方法は数多く存在します。しかし、シノドス的教会であるということは、これら既存の組織に限定されるものではありません。実際、シノダリティは、イベントやスローガンというよりも、教会が世界でその使命を果たすための生活様式やあり方なのです。

教会の宣教には、一人ひとりが自分の重要な役割を果たし、互いに結びつきながら、神の民全体がともに旅をすることが必要です。シノドス的教会は、そのメンバー一人ひとりの参加を通して、共通の使命を追求するために、交わりの中で前進します。今回のシノドス的プロセスの目的は、一時的、ないし一回限りのシノダリティの経験を提供することではなく、むしろ神の民全体が、長期的によりシノドス的な教会になるための道をどう前進していけばいいか、ともに識別する機会を提供することにあります。

このように、シノドスとは単に一時的な会議を意味するだけでなく、わたしたちキリスト者共同体のあり方そのもの、活動そのものなのです。

今回のシノドスの特徴は、すべての信者が「ともに歩む旅」だということです。みなさん、洗礼を受けた信者として、ともに歩む旅、と聞いて、どんなことを思い浮かべますか?

自分は、誰とともに歩んでいるのでしょうか?そう考えると、やはり、まずイエスとともに歩んでいることが頭に浮かびます。たとえば、今日の福音朗読は、イエスが弟子たちと旅をしながらエルサレムに上って行く途中の様子を伝えています。イエスは、いよいよ自分の時が来たことを悟り、3度目の自分の死と復活を予告するんですね。そのすぐ後、ヤコブとヨハネは自分たちの地位を約束してくださるようイエスにお願いするんです。イエスにしてみれば、いよいよ十字架に付けられる時が近づいて、自分の胸の内を弟子たちに伝えたのに、一体何を言っているんだ、という気持ちでしょう。それでも、イエスは弟子たちに、「仕えるものになりなさい」と丁寧に教えます。

イエスとともに歩む旅には、誰でも参加できるのです。自分のような、足りないところだらけの人間でも。私があまり好きではないあの人も。そして、福音書を読むと、イエスは特に社会であまり顧みられない人々とともにおられます。子ども。病人。悪霊に取り憑かれた人。罪人。誰もがイエスに招かれており、誰でも、互いに仕え合って、交わりのうちにイエスとの旅に参加することができるのです。

そして、誰もがイエスのように宣教するよう招かれています。弟子たちは、宣教のために勉強や訓練を受けた人たちではありません。今日の福音のように、おかしなことを言ったりもします。しかし、それでも弟子たちは、イエスが言ったこと、したこと、どれほど自分たちが愛されたか、そしてその死と復活を伝えずにいられなかったのです。来週、わたしたちは世界宣教の日を祝いますが、今年のテーマは「わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」という使徒言行録4章のペトロとヨハネの言葉です。わたしたちキリスト者は、一人ひとり、自分なりの仕方でイエスに出会いました。それをイエスと旅の途上で出会う人々に伝えるよう招かれているのです。

教皇フランシスコは、シノドスを恵みの時と捉え、三つの良い機会となることを希望しておられます。一つ目は「共に歩む教会」を目指して、無計画にではなく「計画的に」歩む機会、二つ目は、皆が家のように感じ、誰もが参加できる場所となるために「耳を傾ける教会」となる機会、三つ目は、兄弟姉妹たちの希望や困難に耳を傾けることで司牧生活を刷新し、「寄り添う教会」となる機会です。

バチカンのシノドス事務局は、各教区においてシノドスのテーマに基づいて分かち合いをするために、10の質問を準備しました。新潟教区では、この10の質問に加えて、2012年の教区の優先課題のふり返りも行います。その分かち合いを依頼する文書を来週、日本語、英語、ベトナム語で各教会、修道院にお送りしますので、それぞれの共同体で話し合ってくださるようお願いします。また、教区のホームページにもこの文書を載せます。

「ともに歩む教会のため —交わり、参加、そして宣教」このシノドスのテーマをしっかりと心に留めましょう。そして、今日から来年の4月までの期間を通して、わたしたち新潟教区共同体が、誰と、どのように、何のために旅をしているのかしっかりとふり返り、その歩みを確かなものとしていくことができますように、共に祈りましょう。

 

拝領祈願の後:

皆様のお手元にシノドスの祈りがあると思います。この祈りは、カトリック教会が、数百年に渡って、公会議、シノドス、その他の教会会議で祈ってきたものです。大切な識別の時にあたり、聖霊の導きを願う祈りです。皆様どうぞ、シノドスの期間、この祈りを唱えてくださるようお願いします。

シノドスのための祈り Adsumus Sancte Spiritus
(聖霊よ、わたしたちはあなたの前に立っています)

聖霊よ、わたしたちはあなたの前に立ち、
あなたのみ名によって集います。
わたしたちのもとに来て、とどまり、
一人ひとりの心にお住まいください。
わたしたちに進むべき道を教え、
どのように歩めばよいか示してください
弱く、罪深いわたしたちが、
一致を乱さないよう支えてください。
無知によって誤った道に引き込まれず、
偏見に惑わされないよう導いてください
あなたのうちに一致を見いだすことができますように。
わたしたちが永遠のいのちへの旅を続け、
真理と正義の道を迷わずに歩むことができますように。

このすべてを、
いつどこにおいても働いておられるあなたに願います。
御父と御子の交わりの中で、世々とこしえに。

アーメン。