ペトロ西村光世神父葬儀

本日の午前、新潟教区司祭、ペトロ西村光世神父様の葬儀が新潟教会で行われました。火葬はすでに1月5日に秋田で済ませていましたので、ご遺骨を前にしての葬儀です。しばらく遺影を新潟教会の小聖堂に置きますので、皆様どうぞお祈りください。以下は葬儀ミサの説教です。

ペトロ西村光世神父様は1929年、北海道に生まれました。1959年に司祭に叙階されるまで、当別のトラピストに数年おられたこともあるそうです。その時の様子を西村神父様は生き生きと絵に描写して残しておられます。

司祭に叙階されてからは聖園病院聖堂付き司祭、村松教会担当司祭として1987年まで30年近く働かれました。この時期にお世話になった司祭、修道者、信徒の方も多いと思います。

1987年からは、秋田の聖体奉仕会チャプレンとして36年。2018年からショートステイ。2020年から特別養護老人ホームで過ごされました。

2回だけですが、わたしもお見舞いに行くことができました。聖体奉仕会のシスターは頻繁に行き、写真を送ってくれていました。施設の人たちも親切にしてくれました。

1月5日に聖体奉仕会で追悼ミサを行い、シスターたちに思い出を語ってもらいました。愛され、尊敬されていた。そういう雰囲気が伝わってきました。神父様は幸せな生活を送られたんだ、そう感じました。感謝しています。

西村神父様は1月3日に94歳で帰天しました。お顔を拝見しましたが、とても穏やかなお顔でした。この遺影もいいお顔をされていますが、そのまま目を閉じたような、穏やかなお顔でした。

 

西村神父様は、他者とは違う感性や生活スタイルで、そのことが話題になることが多かったかと思います。人と会うことを好まれず、会って話すことができる人はわずかだったとのことです。

聖体奉仕会にも、話せる人がいました。そのシスターからいろいろなことを教えてもらいました。

「神父様は朝早いですが、何時頃起きるのですか」とシスターが聞いたところ、「2時の時も、4時の時も」というお返事だったそうです。「なぜそんなに早く?」と聞いたところ、巡礼者のためのミサを捧げるための練習をするのだそうです。説教も、1週間しっかりと時間をかけて調べ、準備をするとのこと。

真面目さ、真剣さ。巡礼者という、一度限りしか会わない人にたった一度ミサを捧げることを、ものすごく大きな事として受け止め、大変な準備をする。西村神父様はそういう方でした。

西村神父様は、イエスに、教会に出会いました。それはトラピストだったかもしれないし、他の場だったかもしれません。イエスについて行きました。イエスの元に留まりました。

「どこに泊まっておられるのですか」「来なさい。そうすれば分かる」「そこで、彼らはついていって、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスの元に泊まった」先程読んだヨハネの福音書にはこのように書いてあります。西村神父様は、西村神父様なりの仕方で、イエスについて行き、イエスの元に留まられました。

聖体奉仕会のシスターから伺いましたが、西村神父様は新聞の切り抜きをファイルされていて、それが膨大な量になっていたとのことです。あまりにも多くて、整理もできなくなって、「もう捨てましょう」と言っても、「大切なもの」とのことで、手を付けることができなかったとのこと。

シスターによると、西村神父様は歴史の動きや社会の変化にとても興味があり、そこに神の働きとの関係を見いだし、お話しされていたそうです。人目に付かず、ひっそりと暮らしておられたというイメージがあったので、意外でした。

それから、絵を描いたり、写真を撮るという趣味があったそうです。写真は、毎年同じ日に、定点観測というのでしょうか、同じ場所から同じ方向の写真を撮られるのだそうです。これもきっと、社会や自然の移り変わりを記録し、そこに神の働きを見いだしたり、表現したりするということだったのかもしれません。

巡礼者のために朝早くからミサの準備をするということも考えると、西村神父様は一人で人にあまり会わずに生活される中で、決して閉じこもって自分だけに向かっておられたのではなく、むしろ人に向かって、社会に向かって、何より神に向かって生きておられたのではないでしょうか。

イエスについて行く生き方。イエスの元に留まる生き方は、自然と他の人に伝わります。アンデレがペトロを誘い、ペトロは岩となりました。教会の土台となり、多くの人がキリストと出会う場となりました。ペトロ西村光世神父様も、西村神父様のやり方で、周りの人々に神を示して生きてこられたのだと思います。説教を準備しながら、そんなことを考えていました。

 

生前、西村神父様がお世話になった皆様に、教区長として感謝申し上げます。

西村神父様との思い出を心の中であたため、わたしたちも社会の中の神の働きに敏感に、イエスとの旅を続けてまいりましょう。