鳥屋野教会公式訪問

今日は新潟市中央区の鳥屋野教会を訪問しました。鳥屋野潟から300メートルほどの、自然に恵まれた環境の中に建つ教会です。鳥屋野教会は約3.5キロほど離れたところにある新潟駅近くの花園教会の分教会で、第一、第四日曜に午前11時からミサがあります。

ミサは日本語ですが、実に国際色豊かな共同体で、今日は20名強の信徒が集まりました。教会の司牧を担当する高橋学神父様と、大瀧浩一神父様との共同司式でミサを捧げ、その後、集まったすべての人が一言ずつ自分の信仰や、鳥屋野教会について思うことを分かち合いました。今日は世界難民移住移動者の日でしたが、様々な国出身の、キリストに結ばれた人々がともに集い、神の言葉を聞き、主の食卓を囲み、思いを分かち合えたのは実にこの日に相応しい事だったのではないかと思います。

集いの後は教会評議員の皆さんと意見交換する時間を取っていただきました。準備してくださった皆様に感謝いたします。以下は、説教の要約です。

今読まれた福音は、先週読まれた福音の続きです。先週の福音で、イエスは子どもの手を取って抱き上げ、「わたしの名のためにこのような子どもの一人を受け入れる者は、私を受け入れるのである。私を受け入れる者は、私ではなくて、私をお使わしになった方を受け入れるのである。」と言われました。

子どものように、小さな存在を受け入れなさい。イエスはそう言ったすぐ後、イエスの名前を使って悪霊を追い出す人に対して、止めさせようとする弟子たちをたしなめ、「止めさせてはならない。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれるものは、必ずその報いを受ける。」と言われるのです。

イエスは、人々が自分につながることを望んでおられます。誰かを排除するのではなく、壁を壊し、一つになること。ブドウの木と枝がつながっているように、皆がキリストとつながっていて、一つになることを望んでおられます。そのキリストの体の中で、誰が一番偉いとか、従わないとかいうことは、イエスにとって大切ではないのです。むしろ、互いに仕え合うこと、子どものように小さい者を大切にすること、そして、キリストにつながることにより、人々と一つの共同体をつくること。これが大切なのです。

さて、世界難民移住移動者の日に関連して、少しお話ししたいと思います。今年の教皇メッセージのテーマは「さらに広がる“わたしたち”へと向かって」です。教皇は次のように語りかけます。

わたしたちは皆同じ舟に乗っており、わたしたちを隔てる壁をなくすため、 もはや“あの人たち”ではなく、ひたすら人類全体と同じ広さであるところの“わたしたち”となるべく専心するよう招かれています。そこでわたしは、この日(難民移住移動者の日)を利用して、さらに広がる“わたしたち”へと向かってともに歩むよう、二者に対して呼びかけます。まずカトリック信者に対して、それから世界中のすべての人に対してです。

キリスト者の集まりである教会は、自分たち自身が、まず「わたしたち」でなければなりません。カトリックは普遍的という意味であり、どこにいても、洗礼を受けたすべての人がキリストにおける兄弟姉妹なのです。そして、その「わたしたち」は、教会の中だけで留まるのではなく、外へと、社会の周辺へと広がっていきます。イエスご自身が、小さな子どもを受け入れ、病人や罪人と出会い、受け入れていったように、わたしたちも特に弱い立場にいる人々を「あなたたち」ではなく、「わたしたち」として受け入れるよう招かれています。

少し、経験談をお話しさせてください。東アフリカの、ルワンダという国に行った時の話しです。この国では、1994年に大虐殺が起こりました。3ヶ月ほどの間に国民の1割から2割にもあたる、80万人もの人が殺されてしまったと言われています。私はそれから16年後の2010年、この国を訪問しました。カリタスジャパンが親を殺された子どもたちのための施設を支援していて、その活動を視察にいくためでした。

私はこの訪問中の日曜日に街の教会のミサに参加しました。教会はいっぱいで、たぶん300人以上はいたでしょう。現地カリタスのスタッフによると、虐殺の被害に遭った少数派の民族も、加害側だった多数派の民族も、ともにミサに参加しているとのことでした。苛烈な虐殺のことを思えば、16年などほんの短い時間です。どうして一緒にミサに参加できるんだろう。どんな気持ちで平和の挨拶を交わすんだろう。私は理解できませんでした。

しかしその時に思い知らされたのは、神は、本当にすべての人をご自分の元に招いていて、愛しているんだ、ということです。自分も、この人も、あの人も、みんな神に招かれてここにいる。イエスにしてみれば、みんなつながっている。みんなが「わたしたち」。逆に、「私はこの人は排除する」というのは、自分と人を遠ざけるだけでなく、自分自身を神の愛から遠ざけてしまうことなんだと、そう感じました。

今日、世界難民移住移動者の日にあたって、あらためて、神がすべての人をご自分のもとに招き、すべての人と繋がっておられることを思い起こしましょう。わたしたちは、イエスを通してすべての人とつながっています。国や、民族や、文化や、そのほかの背景の違いを超えて、より大きな「わたしたち」の共同体を作っていけますように神の導きを願いたいと思います。

最後に、教皇メッセージの結びにある祈りを唱えましょう。

聖なる、親愛なる御父よ、
御子イエスは教えてくださいました。
天には大きな喜びがわき上がることを。
それは、失われていた人が見つかるとき、
排除され、否定され、見捨てられてきた人を
わたしたちの“わたしたち”に取り戻すときです。
こうして“わたしたち”は、ますます大きくなるのです。

イエスのすべての弟子たちと、すべての善意の人に
この世であなたのみ旨を行う恵みをお与えください。
国を追われた人たちを、
共同体である“わたしたち”、教会である“わたしたち”のもとに戻れるよう、
迎え入れ支える行動の一つ一つを祝福してください。
それによってわたしたちの地が、
あなたが造られたとおり、
すべての兄弟姉妹の共通の家となりますように。

アーメン。