四旬節静修

3月7日と8日、新潟地区、新発田地区、長岡地区の司祭が静修を行いました。本荘教会のトゥ・ダン・フック神父様がリモートでベトナムにおけるカトリック教会の歩みや、日本に滞在するベトナム人信徒についてお話ししてくださり、よい学びの時となりました。

8日の静修の締めくくりに、私の司式でミサを行いました。以下は説教です。どうかともにお祈りください。

成井大介


先週NHKで、十日町の星峠の棚田について紹介していました。まさに、今日の第一朗読のような情景でした。雨も、雪も恵み。稲も、メダカも、トンボも、狸も、人間も、皆恵みを受ける。みんなつながっていて、みんなが互いを必要としている。収穫が近づいた頃、大嵐に見舞われて稲が倒れてしまいました。それでも、大地も、人も恵みを受け続けるのです。

「わたしの口から出るわたしの言葉も むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ わたしが与えた使命を必ず果たす。」

神の言葉、それは、この世を創造した言葉。父の独り子であり、この世に受肉した言葉。神がどれほど人間を愛しているのか、表した言葉。

番組に出てきた米作りの名人が、畦を作ったり、水を引いたり、草を刈ったり、棚田に手をかけます。わたしたちも、この世に受肉した言葉を、信徒の皆さんとともに、この世界で育て、広めていくよう招かれています。

教皇フランシスコは、今年の四旬節メッセージで、四旬節は良い種を蒔く季節だと話しています。「たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。ですから、今、時のある間に、すべての人に対して、善を行いましょう」(ガラテヤ6・9-10a)

収穫は、約束されています。復活という収穫。神の国という収穫。そのために、今、何ができるでしょうか。米作りの名人が、畦を作ったり、水を引いたり、草を刈ったりしたように、わたしたちに何ができるでしょうか。番組の終わりに、名人は草を刈りながら、「除草剤はつかってはだめ。根っこを枯らしてしまう。そうすると、土砂崩れが起きる。根っこを残さないといけない。」と言いました。

わたしたちにとっての根っこは何でしょうか。神の愛が、自分の中にも、地域の人々の中にも、根を張っていくと言うことではないでしょうか。そのために祈り、動く四旬節としていきたいと思います。

最後に、ウクライナについて話したいと思います。ローマにいた頃、シスターテティアナというウクライナ出身の聖霊会のシスターと度々ご一緒していました。彼女は今ウクライナに戻り、ウクライナにとどまる決断をし、村の人々とともにいます。危機の中、ともにいる、ということが、村の共同体の大きな力になっているとのこと。村の子どもたちを集めて遊んだり、高齢者と話をしたりしておられるそうです。シスターテティアナは、灰の水曜日にビデオメッセージを送りました。その、後半の一部を紹介します。

「わたしたちは戦いを続けます。武器による戦いだけでなく、霊的な戦い。祈り続けます。皆さんとともに、祈りによって戦い続けます。

四旬節が始まりました。死と悪は、最終的なものではありません。最後にあるのは、神の慈しみ。神の愛。わたしたちは、憎しみに飲み込まれることはありません。分裂を望みません。敵を愛することは難しいですが、祈ります。わたしたちを殺そうとしている人と同じようにならないように祈ります。私が許すことができるようにと祈ります。私が、助けを必要としている人に手を差し伸べることができるよう祈ります。私が、神の慈しみの顔を示せるよう祈ります。神は、わたしたちとともにいます。本当にそう感じるのですが、神はわたしたちとともにいます。神は、この難しいときにあって、わたしたちに奇跡を見せてくださっています。わたしたちは、御復活を待ち望みます。典礼の復活祭を待っていますが、それと同時に、わたしたちの国の復活も待っています。

わたしたちは、立ち上がります。わたしたちは、立ち上がります。神が、わたしたちを立ち上がらせます。あなたの尊い祈りによって。あなたが真実と善と人権のために立ち上がることによって。死ではなく、いのちのために。

心から感謝しています。どうか、祈り続けてください。わたしたちは祈りによって結ばれています。」

 

祈りの力に信頼し、祈りによってつながって、四旬節を生きていきたいと思います。

シスターテティアナのビデオメッセージはこちら
https://www.youtube.com/watch?v=05rWsxM_2JU