神のお告げミサ

本日新潟教会で行われた神のお告げの祭日のミサ説教です。

成井大介司教

マリアは、天使ガブリエルの言葉に「はい」と応えました。「お言葉通り、この身になりますように」。言葉にすれば、ほんの短い言葉。片手で数えられるほどの単語が並んだ言葉。しかし、それによって、この世界に救いの歴史の新しい大切な一歩が記されました。救いそのものはマリアの力ではなく、神がマリアを通して働かれるのです。神は、ご自分の救いの計画のために、マリアを使われました。マリアはその神の招きに応えました。

第二バチカン公会議の教会憲章56項には、次のように書かれています。

「自分自身の存在の最初の瞬間からきわめて独自の聖性に輝き、神の命令によって天使から「恵まれたかた」というあいさつを受けたナザレの処女は、天の使いに「わたしは主のはしためです。おことばどおり、この身に成りますように」とこたえた。こうして、アダムの娘であるマリアは、神のことばに同意してイエスの母となり、いかなる罪からも麻痺させられることなく、真心から、神の救いのみ心を受諾し、主のはしためとして子とその働きに完全に自分をささげ、子のもとで、子とともに、全能の神の恵みによって、あがないの神秘に奉仕したのである。したがって、聖なる教父たちが、マリアは単に受動的に神に用いられたのではなく、自由な信仰と従順をもって人類の救いに協力した、と考えているのは正しい。聖イレネオがいっているとおり、マリアは、「従順によって、自分と全人類のために救いの原因となった」のである。」

マリアは、自由な信仰と従順をもって人類の救いに協力したのです。救い主の母となる能力や、理解や、立場があったからではありません。

誰しも、人生を生きていく中で、何らかの重大な問題に直面したり、何か大切なことを選ばなければならないときがあると思います。自分の能力や、自分の理解や、自分の立場や、自分の持ち物に関係なく、「はい」と言わなければならないときがあります。私はマリア様みたいに素晴らしい信仰を持っていないから、「はい」と言えません、という気持ちになることもあるかもしれません。でも、神は、すべての人に対して、ご自分の救いの計画に協力するよう招いているのです。自由な信仰と、従順を持って、小さな事にも、大きな事にも「はい」と応えていくよう、招かれているのです。その神の招きの前では、自分の能力や経験、立場は関係ありません。圧倒的な暴力を前にしても、祈りによって、神に信頼して、希望を持って生きるという信仰は、このようにして生まれてくるのだと思います。

今日、教皇と世界中の司教、信者がロシアとウクライナを聖母マリアの汚れなき聖心に捧げます。わたしたちもこの奉献にともに参加します。今、ここで、自由な信仰と、従順を持って、父である神のあわれみに信頼し、祈りを捧げたいと思います。

何度か紹介しているものですが、ウクライナにとどまっている聖霊会のシスターテティアナが灰の水曜日に出されたビデオメッセージの一部を今一度読みたいと思います。

「わたしたちは戦いを続けます。武器による戦いだけでなく、霊的な戦い。祈り続けます。皆さんとともに、祈りによって戦い続けます。……

 四旬節が始まりました。死と悪は、最終的なものではありません。最後にあるのは、神のあわれみ。神の愛。わたしたちは、憎しみに飲み込まれることはありません。分裂を望みません。敵を愛することは難しいですが、祈ります。わたしたちを殺そうとしている人と同じようにならないように祈ります。わたしが許すことができるようにと祈ります。わたしが、助けを必要としている人に手を差し伸べることができるよう祈ります。わたしが、神の慈しみの顔を示せるよう祈ります。神は、わたしたちとともにいます。本当にそう感じるのですが、神はわたしたちとともにいます。神は、この難しいときにあって、わたしたちに奇跡を見せてくださっています。わたしたちは、御復活を待ち望みます。典礼の復活祭を待っていますが、それと同時に、わたしたちの国の復活も待っています。

 わたしたちは、立ち上がります。わたしたちは、立ち上がります。神が、わたしたちを立ち上がらせます。あなたの尊い祈りによって。あなたが真実と善と人権のために立ち上がることによって。死ではなく、いのちのために。

 心から感謝しています。どうか、祈り続けてください。わたしたちは祈りによって結ばれています。」

神と、教皇をはじめとする世界の信者、特にウクライナとロシアの人々と一致して祈りを続けましょう。