聖母の被昇天

今年の新潟は、雨の被昇天となりました。皆様、聖母の被昇天おめでとうございます。いろいろな思いが重なるこの日、今年は特に平和に心を向けたいと思います。以下はミサの説教です。

8月15日。わたしたち、日本に住むキリスト者にとって、この日は特別な意味を持っています。聖母の被昇天という、キリストに続く復活の初穂、救いの希望を私たちに示してくださる日。終戦記念日という、日本がアジア・太平洋地域で多くの人々のいのちを奪ったことを記憶にとどめ、二度と戦争を起こさないことを誓い、亡くなられた人々のために祈る日。それに関連し、日本カトリック平和旬間の最終日です。そして、お盆。ほとんどの人が仏教徒の先祖や家族とつながっていますから、お盆にあたって死者のために祈ります。

通常、お盆休みのこの時期は、実家に帰省し、久しぶりに家族と再会し、墓参りをしたり、ミサに参加してバーベキューをしたりとうれしいひとときを過ごしますが、ここ3年はコロナ禍のためになかなか思うように行事を行うことができません。それで、この3年間は、特にこの日にマリア様にコロナ禍の早い収束を願うことも多かったのではないかと思います。

今年はどうでしょうか。コロナ禍は続いています。大雨災害も続いています。しかし、おそらくそれよりも私たちの心にあるのは、平和ではないでしょうか。ロシアがウクライナへの大規模軍事侵攻を始めたのが2月24日。それからもう半年がたとうとしていますが、未だ停戦の兆しすら見えません。

教会は、歴史を通じて、平和を求めてマリアに取り次ぎを求めてきました。

第一次世界大戦が始まってすぐに教皇に選ばれた教皇ベネディクト15世は、度々ロザリオを祈るように呼びかけ、また「平和の元后」という称号を聖マリアの連祷に入れることを決定しました。

1968年、ベトナム戦争が激化する中で、教皇パウロ6世は、1月1日の神の母聖マリアの祭日を「世界平和祈願の日」と定め、平和の元后である聖マリアの取り次ぎを求めて祈るよう呼びかけました。

第2次世界大戦以降、歴代の教皇は度々、世界の平和が脅かされているときに、世界をマリアの穢れなきみ心に捧げて祈るよう呼びかけてきました。今年の3月には、教皇フランシスコは、ウクライナと世界の平和のためにマリアに取り次ぎを求めて祈るよう呼びかけました。

こうして聖母マリアに平和の取り次ぎを求めるのは、マリアが、この世界に平和をもたらした方、イエスの母であられるからです。イエスは、神がすべての人を愛しておられることを言葉と行いを持って示し、暴力ではなく愛による平和、分断ではなく一致による平和へと導き、最後には、非常に残酷でむごたらしい十字架の死と復活によって、最終的に私たちに平和をもたらしてくださいました。この、平和の君、イエスの母であることから、マリアは平和の元后と呼ばれるのです。

さて、今日の福音の中でエリザベトは、「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」とマリアに挨拶しました。

イエスの母として神から選ばれたということで幸いな方と言うこともできると思いますが、エリザベトはむしろ、「あなたは信じた、だから幸いな方」と言っているのです。

これは興味深い言い方ですね。ザカリアが天使の言葉を信じなかったことに対して、マリアは信じたから素晴らしいと言っているのかもしれません。いずれにしても、この言葉は私たちにとっても大切な呼びかけになっていると思います。私たちは、主の言葉と行いを伝えられ、秘跡を、平和を、復活のいのちを残され、約束されました。主が私に伝えてくださったことは、必ず実現すると信じていますか?主の言葉が私を通して実現すると、信じていますか?「いやいや、私などはふさわしくありません」と思っていませんか?立場、年齢、経験、知識、財産などに一切関係なく、神は「あなたを愛している」「あなたのために死んで復活した」「あなたを救いに招いている」「あなたに平和を残した」と言っておられるのです。それが、自分の中に必ず実現すると信じていますか?

聖母マリアは、天使から与えられた召命に「はい」と応え、母として、イエスの平和の歩みを心の中で思い巡らしてきました。何か、特別な力を発揮して活動したわけではありません。自信があったわけでもないでしょう。ただ、信じて生きたのです。私たちも神の招きを信じ、受け止め、神のいのちにあずかり、神の愛を生き、神が残してくださった平和を広めていくよう招かれています。

教皇フランシスコは、回勅「兄弟の皆さん」の261項で戦争について次のように述べています。

どの戦争も必ず、世界を、かつての姿よりもいっそう劣化させます。戦争は、政治の失敗、人間性の欠如であり、悪しき勢力に対する恥ずべき降伏、敗北なのです。理屈をこねるのはやめて、傷に触れ、犠牲者のからだに触れようではありませんか。「巻き添え被害」で殺戮された無数の民間人を、しっかり見つめようではありませんか。犠牲者に尋ねようではありませんか。 避難民、被爆者や化学兵器の被害者、わが子を亡くした母、手足を失った子や幼少期を奪われた子どもたちに、目を向けようではありませんか。こうした暴力の犠牲者が伝える真実に意識を向け、彼らの目を通して現実を見つめ、開かれた心で彼らの話に耳を傾けようではありませんか。そうすれば、戦争の根底にある悪の深淵に気づけるようになり、平和を選ぶことで愚直だといわれようとも動じることはないのです。

十字架の元に立ち、イエスを見上げる母の思いは、いかほどだったでしょうか。まさに、槍で心を貫かれるような思いだったでしょう。今、ウクライナや紛争に直面する地域で、息子や娘が戦場にいるお母さんたちにとって、聖母マリアを通して捧げる平和のための祈りは、どれほど力強いものでしょうか。わたしたちも思いを一つにして祈りを捧げたいと思います。そして、自分自身にキリストが平和を与え、残してくださったことを信じ、その平和を毎日の生活の中で実践して行けたらと思います。

最後に、教皇フランシスコが、今年の3月25日にともにマリアに捧げるよう呼びかけた祈りの中の一説を朗読いたします。

わたしたちの母よ、あなたの嘆きが、わたしたちの頑な心を動かしますように。あなたがわたしたちのために流した涙が、憎しみで涸れる谷に再び花を咲かせますように。武器の音が鳴りやまない中で、あなたの祈りがわたしたちを平和に向かわせますように。あなたの母なる手が、度重なる爆撃によって苦しみ、逃げまどう人々に優しく触れますように。あなたの母なる抱擁が、家と祖国を追われた人々に慰めを与えますように。あなたの苦しむみ心が、わたしたちのあわれみの心を動かし、扉を開き、傷つき見捨てられた人々のために尽くす者となりますように。