聖金曜日 主の受難

新潟教会で十字架の道行きが午後3時から、主の受難の典礼が夕方7時から行われました。受難の朗読の後の説教は、岡助祭が担当。盛式共同祈願では、ウクライナの平和のための祈りが捧げられました。

以下は、岡助祭による説教です。

今日の典礼では、短い説教をすることができるとありますので簡潔にお話ししたいと思います。ただイエスの十字架の死を前に何も新しいことを私は言えません。

主の受難の朗読で、ヨハネ福音が読まれました。お気づきになったかもしれませんが
イエスの十字架は、イエスの物語であると同時に彼を取り巻く人間の物語です。

イエスというお方にたいして、あらゆる人間の姿があぶりだされます。
イエスに反対する人々の憎悪、恐れ、嘲笑。

またイエスを信じると言いながら恐ろしさのあまり散っていった弟子たちの人間的な弱さや悲しみ、後悔です。

わずかな人々、主の母と婦人たちそして愛する弟子の一人だけが十字架のもとに残ったと福音書は述べています。

父なる神のみ旨に従われたイエスの十字架に場面で、神は目に見えた助けをお与えになりません。

イエスの母と愛された弟子、そして婦人たちはか弱いはずのイエスの最後の不思議な言葉を聞きます。「成し遂げられた」 

「成し遂げられた」こととは何でしょうか?人間の罪の贖い。自分を殺す人々にすら向けられる神の愛のことばです。

わたしたちはこれから聖なる十字架を礼拝します。十字架は成し遂げられた姿です。
死が命に飲み込まれ、わたしたちの裁きはイエスの死により取り去られました。

十字架を見つめましょう。そこには死に打ち勝つ神の愛の力が示されています。まことの人であるイエスは最後まで父のみ旨に従いすべてを委ねつくされました。イエスの死に対して沈黙を守られていたように感じられた父なる神は、イエスの従順に対して復活で答えられます。復活とはイエスの従順に対する御父の応答です。

わたしたちは沈黙のうちに主の十字架を見つめ、その向こうにある本当のいのち(復活)に心を向けましょう。