2025年 米沢殉教祭

本日、山形県米沢市の北山原で、米沢殉教祭ミサが行われました。

福者ペトロ岐部と187殉教者のうち、ルイス甘糟右衛門と52名の福者殉教者、合計53名が米沢で殉教しています。昨年までは福者ペトロ岐部と187殉教者を7月1日に記念することから、7月の第一日曜日に殉教祭を行っていましたが、殉教地での野外ミサをするにはどうにも高齢者に厳しい季節なので、今年は5月に移しました。ところが、今日は朝10時ですでに27度!ミサの間は晴れたり曇ったりでしたが、風があったので助かりました。

今年は山形県内のすべての教会、また遠くは長崎から巡礼でいらしていた方が参加し、約100名によるミサとなりました。山形地区のワルヨ神父、ネルソン神父、そしてこの春まで米沢・長井教会を担当してくださったフリッツ神父、イエズス・マリアの聖心会管区長、千原神父も参加してくださりました。ありがとうございました。ミサの前には、米沢市副市長の吉田晋平様がお忙しい中駆けつけ、ご挨拶くださいました。殉教者を米沢市として大切にしてくださっていることに感謝いたします。

説教では、聖年との関係で殉教者についてお話ししました。以下、要約です。

米沢の殉教者は、今年の聖年のテーマである、「希望の巡礼者」そのものであったと思います。日本全国で迫害の嵐が吹き荒れる中、希望を持って刑場へと歩を進め、喜びのうちに殉教したのです。

教皇フランシスコは、聖年を告知する大勅書で次のように述べました。「希望はまさしく愛から生まれ、十字架上で刺し貫かれたイエスのみ心からわき出る愛がその根本です。」米沢の殉教者が、迫害が迫る中、希望を持って生き、死んでいったのは、何か物や、財産や、将来への展望があったからではなく、まさに神の愛をしっかりと受け止め、その愛を人々の間で証して生きたからなのです。

今私たちが生きている世界は、神とも、人とも、自然とも関係を悪化させ、破壊し、殺し、それを悪びれることなく継続するような世界です。聖年は、ヨベルの年にちなんで、おかしくなっていることをまた元通り、望ましい関係、神の目に望ましい関係に戻す年です。どうか、私たちが殉教者の模範に倣い、愛の行いによって人々の間で希望を生み出す、希望の巡礼者として歩んでいくことができますように。

成井大介司教