王であるキリストの祭日

昨日、王であるキリストの祭日のミサを新潟教会で司式しました。新潟教会は、王であるキリストを名前にいただいた教会です。

さて、王であるキリストの祭日は、1925年に教皇ピオ11世によって制定されました。今日は、制定100周年という節目の時になります。

王であるキリストの祭日は、1918年に第一次世界大戦が終わり、1939年に第二次世界大戦が始まるまでの間に制定されました。ピオ11世は1922年に教皇に選ばれ、最初の回勅を同じ年に出したのですが、その内容は、「キリストの王国におけるキリストの平和について」でした。第一次世界大戦終戦の4年後、キリストによる平和を目指すよう呼びかけられたのです。そして、その3年後、1925年に王であるキリストの祝日を制定するにあたり、ピオ11世はもう一度回勅を出し、この「キリストの王国におけるキリストの平和について」もう一度解説しています。これは、当時の社会が世俗化と国粋主義に大きく傾いていったことに対する提言です。回勅は、「キリストの王国において、キリストの平和を求める」以外に、恒久的な平和を手に入れることは出来ないと語っています。王であるキリスト、という言葉からは、権威に満ちた、絶対的な王としてのキリストの姿が思い浮かべられますが、その背景にあるのは、この世界がキリストの平和で満たされますように、という切実な思いなのです。

ピオ11世が、「キリストの王国においてキリストの平和を求める以外に、恒久的な平和を手に入れることは出来ない」と教えたのは、きっと、戦争によって理想的な世界を造ることなどできない、という思いが込められていたのではないでしょうか。実際、1939年、第一次世界大戦終戦の21年後に第二次世界大戦が始まりました。

新潟教会の聖堂は、1927年に献堂されました。王であるキリストの祭日がピオ11世に制定されて、2年後の献堂で、日本では昭和2年。満州事変の4年前、激動の時代です。この聖堂が、王であるキリストの名前をいただいたのは、きっと、この新潟の地が、キリストの平和で満たされますように、と願ってのことなのだと思います。

今日の第2朗読のコロサイの信徒への手紙には、次のように書かれています。

神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。

キリストの平和とは、父の独り子、イエス・キリストがその十字架の死と復活によって、死に打ち勝ち、すべてのものをご自分の元に集め、和解させられるということです。

福音朗読では、やはり十字架上のイエスが取り上げられています。人々の前で磔にされ、恥ずかしい姿をさらし、あざけられ、侮辱され、死を目前にしたイエスの姿がそこにあります。しかし、その姿こそが、王であるキリストであり、キリストが与える平和なのです。自らを殺そうとするものも、罪を犯し、回心するものも、回心しない者も、すべての人のために神の独り子が命を捧げ、救いに招かれるという、圧倒的で、無条件に、誰に対しても与えられる、神の愛に基づくキリストの平和なのです。

私たちの共同体が、キリストの平和を日々の生活の中で広めていくことができますように。

成井大介司教