ちょうど年度の切り替わりのタイミングとなった今年の聖週間。あわただしい日程ではありますが、聖なる三日間が始まりました。新潟教会では19:00から聖木曜日の主の晩餐の夕べのミサが行われました。イエスが捕らえられ、十字架につけられる前に弟子たちの足を洗ったということ、そして、ご聖体を制定されたということは、わたしたちにとって本当に豊かな恵みですね。受け止めることが難しいほど、大きな恵みです。心してこの二つの恵みをいただきたいと思います。以下、説教の抜粋です。









イエスの時代、埃まみれの道を靴下も、靴もなく歩いていたわけですから、足というのは、体の中で一番汚いところでした。足を洗うというのは、一番汚いところをきれいにするということですね。当時は、奴隷のように、身分の低い人の仕事だったようです。
皆さん、自分の一番汚いところはどこだと思いますか。わたしが自分自身のことを考えてみると、それは、体の一部というよりも、心です。
イエスが私の前に跪いて、「あなたの一番汚いところを洗わせてください」と仰っている。私はペトロのように断るでしょう。それには、二つの意味があります。一つ目は、「主であるイエスにそんなことをしてもらうのは申し訳ない」という意味です。二つ目が、本音です。「私の汚い、弱い心を、イエスに見せたくない。見られたくない。それどころか、わたし自身ですら、自分の心の弱い部分を見ないでいたい」という意味です。
神は、あなたが、隠しておきたい、ふたをしておきたい、誰にも触れてほしくない弱さを、見せてください、触れさせてください、洗わせてください、と言っているのです。あなたは、隠しておきたい弱さを、神の前にさらけ出しますか?
さらけ出してこそ、神に、私たちの弱さに触れていただけるのです。わたしたちのありのままを、汚さも含めたそのままのわたしを、そのまま神様に受け入れていただけるのです。神は、そうして、弱いわたしたちのそのまま、ありのままを愛し、包みこみ、救ってくださるのです。
イエスは、洗われることを拒むペトロに言いました。
「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」
これは、ものすごく強い言葉です。まさに、わたしが、弱い心を含めてすべてを神の前にさらけ出してこそ、神はわたしを救うことがおできになるのですね。
成井大介司教